No.11 意外と知らない?
流行中の麻疹(はしか)と風疹のちがい
ー知ってほしい。正しい感染症の知識についてー
昨年から、麻疹と風疹の流行のニュースをしばしば耳にします。どちらの病気も発疹(身体のブツブツ)と発熱が主な症状ですが、その区別はできていますか?これら2つの病気には、似たところもあれば、異なる点もあります。その相違について意外と知らない人も多いので、簡単に解説します。
川崎医科大学 総合医療センター 小児科 部長(教授) 中野 貴司
重い病気ですか?
発熱や発疹が出るだけでも不快ですが、加えてどちらの病気にも「合併症」があります。合併症とはある病気に関連して起こる併発症で、後遺症につながるものや、生命に関わる場合もあります。麻疹では脳炎、肺炎、中耳炎、下痢など、風疹では脳炎、関節炎、血小板減少性紫斑病(血小板という血液の成分が減って出血しやすくなる病気です)などの合併症が知られています。
このように、どちらも罹りたくない病気ですが、患者さん本人にとってどちらの病気がより重篤かといえば、それは間違いなく麻疹です。発熱や発疹が長く続き、合併症を起こす頻度やその重さも麻疹の方が勝ります。特に脳炎や肺炎は生命に関わる合併症で、麻疹患者の約1,000人に1人は死亡するといわれています。何か持病があり、その治療目的で副腎皮質ステロイド薬や免疫抑制薬を服用していると、麻疹が重篤化する頻度が高いことも知られています。すなわち、免疫力の低下した者が麻疹に罹ると、しばしば生命に直結します。また、栄養障害特にビタミンA欠乏状態にあると、麻疹で失明する場合があります。さらに、亜急性硬化性全脳炎(subacute sclerosing panencephalitis, SSPE)という、麻疹が治って数年以上経ってから発症する、進行性の神経疾患の原因にもなります。これらを総合して考えると、麻疹は感染症の中でもかなり重い病気であることは確実です。
次世代にまで影響がおよぶ風疹~先天性風疹症候群
風疹に罹った場合の発熱や発疹は、通常は麻疹より軽症です。風疹が別名「三日はしか」と呼ばれる理由は、麻疹(はしか)に似た症状が現れるものの、麻疹より短い期間で治ることを意味しています。しかし風疹には、次世代にまで影響をおよぼす大きな脅威があります。妊娠初期の妊婦が風疹に罹ると、胎盤から臍帯(へその緒)を通じて胎児にウイルスが感染し、先天性風疹症候群(congenital rubella syndrome, CRS)を起こします。母に感染した病原体が赤ちゃんにうつってしまうことを「母子感染(ぼしかんせん)」と呼び、風疹はその代表格です。
風疹ウイルス以外にサイトメガロウイルス、ヒトパルボウイルスB19、梅毒トレポネーマ、トキソプラズマなども母子感染しますが、それらの中で風疹ウイルスは胎児に病気を起こす頻度が最も高いと言われます。
先天性風疹症候群(CRS)では、難聴(耳)、先天性心疾患(心臓)、白内障(眼)が三大症状としてよく知られており、その他いろんな臓器に病気を起こします。妊婦に感染して胎児に病気を発症させる風疹は、目前の患者の重症化に留意すべき麻疹とは少し異なった観点からも、対策を整備したい感染症です。
厚生労働省 風しんについて 国立感染症研究所 風疹 厚生労働省 妊娠と感染症 国立感染症研究所 母子感染 風疹をなくそうの会「hand in hand」
治療や予防の対策は?
麻疹・風疹ウイルスともに、細菌に対する抗生物質のように病原体特異的な治療法はありません。罹ってしまったら、身体の免疫力で治るのを待ちつつ、病状に応じた対症療法を行うしかありません。したがって、予防することが何より大切です。風疹は飛沫感染、麻疹は飛沫感染に加えて空気感染します。感染経路によってそれぞれ異なる対策は必要ですが、すべての病原体に共通する予防手段は「手洗い」の励行です。手指を清潔にすることで、自らや他人が病原体に感染する経路のひとつを遮断することができます。
麻疹と風疹はMR(麻疹・風疹混合)ワクチンで予防が可能です。小児の定期接種は1歳(1期)と小学校入学前1年間(2期)の2回です。また、成人で流行中の風疹対策として、1962年4月2日~1979年4月1日生まれの男性を対象として、公費による抗体検査と、抗体価が基準値以下の者へのワクチン接種が定期接種として3年間実施されます。
麻疹と風疹の共通点は、手洗いの励行をはじめ日常からの予防行動が大切なことと、ワクチンの接種が勧められるということです。
PROFILE
川崎医科大学 総合医療センター 小児科
部長(教授) 中野 貴司
1983年信州大学医学部卒業、1983年三重大学医学部付属病院小児科研修医、1984年尾鷲総合市民病院小児科、1985年国立療養所三重病院小児科、1987年ガーナ共和国野口記念医学研究所派遣(2年間)、1989年三重大学医学部小児科、1995年国立療養所三重病院小児科(この間、中国ポリオ対策プロジェクトへ1年間派遣)、2004年4月 独立行政法人化により"国立病院機構 三重病院"と改称、2010年7月 川崎医科大学小児科教授、現在に至る。