No.16 新型コロナウイルス対策をふまえての
学校生活再開に向けて
3月から始まった臨時休校が、ようやく徐々に解除されつつあります。学校生活は子どもたちにとって不可欠なものですが、新型コロナウイルスへの予防策を並行して実施しなければなりません。新しい生活様式を取り入れることが必要といわれており、学校生活再開に向けての注意点を解説します。
川崎医科大学 総合医療センター 小児科 部長(教授)中野 貴司
新型コロナウイルスとは
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の国内感染拡大初期であった3月2日から、内閣総理大臣の要請による全国の一斉臨時休校が行われました。その後、春休みを経て、4月7日に政府の緊急事態宣言が7都府県を対象に発せられ、4月16日には全都道府県に拡大されました。そのような状況の中、全国の学校で臨時休業の措置が継続されました。
国を挙げて行われた様々な社会活動自粛の効果があり、COVID-19の新規感染者数は徐々に減少しました。そして、各地域の状況を解析した上で、5月14日には39県に対する緊急事態宣言の解除が発表されました。これから少しずつ段階的に、日常生活の制限を緩和してゆくことになりますが、COVID-19のリスクが無くなったわけではありません。したがって、病原体ウイルスへの警戒は継続しつつ、感染予防を心がけた新しい生活様式が必要とされています。
インフルエンザとの差異
インフルエンザ流行時には、今回よりは短期間で小規模な臨時休校がしばしば行われ、感染拡大防止への有効性も報告されています。これには、インフルエンザでは子どもの患者数が多いこと、潜伏期間が短いことなど疾患の特性が関与しています。一方COVID-19は、学校での集団発生は、国内外において決して多くありません。家族内感染のケースでも、大人が発端者となり子どもにうつす場合が大多数です。子どもの患者が少ない理由はよくわかっていませんが、同じ感染症でもインフルエンザとは異なる側面があるようです。
ただし、病原体ウイルスは人から人に感染するので、学校での感染リスクをゼロにすることはできません。集団生活で流行がおこる可能性は、もちろんあります。しかし、臨時休校が長びくことで、学習機会の確保、心身の健康保持、健全な成長発達という観点からは深刻な問題が生じます。現状では、社会全体がこの新たなウイルスとともに暮らすという認識が必要であり、学校での感染拡大リスクを可能な限り低減しつつ、段階的に実施可能な教育活動を再開し、その評価をしながら新しい生活様式を確立してゆかねばなりません。
学校生活再開に向けての注意事項
学校側でも様々な工夫が成されると思いますが、各個人や家庭でも可能な限りCOVID-19対策を心がけましょう。3つの「密」(密閉空間・密集場所・密接場面)を避けることは繰り返し注意喚起されており、教室ではもちろんのこと、登下校時や放課後も忘れないことが大切です。
基本的な感染症対策は、COVID-19に限らず有効です。給食前後、トイレの後、外から教室に入るとき、登校時、帰宅時などの手洗いや手指消毒はこれまで以上に励行しましょう。マスクは日本を含むアジア地域から世界に発信した予防策ですが、周囲に病原体を飛沫させない、自らが直接飛沫をあびないという観点から有効性が期待できます。日常生活で適切にマスクを使える年齢になったら、着用すればよいと思います。
環境の清潔性を確保することも大切です。多くの者が手を触れる箇所(ドアノブ、手すり、スイッチなど)は、1日1回以上消毒液での清掃が勧められています。消毒液は、次亜塩素酸ナトリウムや消毒用エタノールを使います。
体調のすぐれないときは早めに休むことが、他人への感染を防ぐ観点からも大切です。定期的な体温測定や風邪症状の確認を心がけましょう。同居家族の健康状態にも注意します。
また、周囲にCOVID-19にかかった子どもや家族がいたとしても、差別や偏見、いじめの対象とならないような配慮が必要です。十分に注意していても感染症にかかることを避けられない場合は往々にしてあり、患者や家族を守るという共通認識を持ちたいと思います。
参考資料
新型コロナウイルス対策をふまえての学校生活再開に向けて
1. 3つの「密」(密閉空間・密集場所・密接場面)を避ける
・教室ではもちろん、登下校時や放課後も忘れずに
2. 基本的な感染症対策の徹底
・手洗いや手指消毒の励行
・マスク着用
3. 環境の清潔確保
・次亜塩素酸ナトリウムや消毒用エタノールでの清掃
4. 体調のすぐれないときは早めに休む
・定期的な体温測定や風邪症状の確認
5. 患者に対する差別、偏見、いじめは決してしない
・患者や家族を守るという共通認識を持つ
PROFILE
川崎医科大学 総合医療センター 小児科
部長(教授) 中野 貴司
1983年信州大学医学部卒業、1983年三重大学医学部付属病院小児科研修医、1984年尾鷲総合市民病院小児科、1985年国立療養所三重病院小児科、1987年ガーナ共和国野口記念医学研究所派遣(2年間)、1989年三重大学医学部小児科、1995年国立療養所三重病院小児科(この間、中国ポリオ対策プロジェクトへ1年間派遣)、2004年4月 独立行政法人化により"国立病院機構 三重病院"と改称、2010年7月 川崎医科大学小児科教授、現在に至る。