No.8 感染力が強い病気の流行
-感染症の身近な脅威-
季節はギラギラと太陽の輝く暑いシーズンに向かい、子どもたちの夏季休暇まで1か月をきりましたが、皆様お変わりありませんか?四季のうつろいの中で、たとえば冬はインフルエンザ、夏は食中毒と、それぞれの季節に特徴的な感染症がありますが、時に発生するアウトブレイクは自分の身近でも起こります。ちょうど最近、きわめて感染力の強い病気が相次いでニュースとなりました.それらについて簡単に解説します。
川崎医科大学 総合医療センター 小児科 部長(教授) 中野 貴司
麻疹(はしか)の流行
麻疹(はしか)は時に命にもかかわる重い病気ですが、2015年3月、世界保健機関(WHO)西太平洋地域事務局は、日本が麻疹の排除状態にあることを認定しました。「排除状態(Elimination)」とは、一定の地域においてそこに定着した病原体が消滅しているということであり、かつて日本に住み着いていた麻疹ウイルスは消えたことを意味します。しかし、近隣のアジア諸国をはじめとして,世界中には麻疹の流行している国がまだ数多く存在します。したがって、排除状態の達成後も、海外滞在中に感染した患者や海外からの旅行者の患者がきっかけとなって、国内で感染の拡大事例が散見されています。特に2018年は、大型連休を前にした3月から4月にかけて沖縄で始まった流行では100人規模の患者が報告されました。
麻疹の重篤さと強い感染力
麻疹ウイルスの感染経路は、空気感染、飛沫感染、接触感染で、ヒトからヒトへ感染が伝播し、その感染力は非常に強いと言われます。免疫を持っていない人が感染すると、ほぼ100%が発症します。ウイルスに感染して約10日後に、発熱や咳、鼻水といった風邪のような症状が現れます。2~3日熱が続いた後、39℃以上の高熱と発疹が出現します。肺炎、中耳炎を合併しやすく、麻疹患者1,000人に1人の割合で脳炎を合併します。死亡する割合も、先進国であっても1,000人に1人とされています。
麻疹の予防
空気感染、飛沫感染、接触感染とあらゆる経路で感染する麻疹に対しては、手洗いをはじめとした日常からの感染予防の習慣をより徹底しておくことが大切です。加えて、麻疹に対しては「ワクチン」という有効な予防手段があります。麻疹ワクチン(現在わが国でおもに接種されているのは、麻疹風疹混合(MR)ワクチン)を接種すると、95%以上の人で免疫を獲得することができます。また、2回の接種を受けることで1回の接種では免疫が付かなかった人にも空気感染、飛沫感染、接触感染とあらゆる経路で感染する麻疹に対しては、手洗いをはじめとした日常からの感染予防の習慣をより徹底しておくことが大切です。加えて、麻疹に対しては「ワクチン」という有効な予防手段があります。麻疹ワクチン(現在わが国でおもに接種されているのは、麻疹風疹混合(MR)ワクチン)を接種すると、95%以上の人で免疫を獲得することができます。また、2回の接種を受けることで1回の接種では免疫が付かなかった人にも免疫をつけることができます。さらに、接種後年数の経過と共に、免疫が低下してきた人に対しては、2回目のワクチンを受けることで免疫を増強させる効果があります。2006年度から、1歳児と小学校入学前1年間の幼児に対して、2回の定期接種制度が始まりました。1歳を過ぎてから2回の接種を済ませておくことが,予防のために最も大切です。定期接種の対象年齢(1期:1歳、2期:小学校入学前1年間)を過ぎると任意接種の扱いになりますが、未接種の人や接種回数が不足している人には接種をお勧めします。
流行性角結膜炎(はやり目)の流行
流行性角結膜炎(はやり目)は、アデノウイルス(おもに4型、8型、19型、37型など)の感染により発症し、結膜(白眼)の充血、眼瞼(まぶた)のむくみ、眼の痛みなどを引き起こします。幼児を中心とする子どもの患者が多いですが、成人にもみられます。2018年は流行性角結膜炎の報告が増えており、国立感染症研究所発表の情報によると、5月中旬1週間の患者数は1医療機関当たり1.17人で、過去10年間で最多でした。
流行性角結膜炎の感染経路と強い感染力
流行性角結膜炎の感染経路は、ウイルスに汚染された手指やタオルなどを介した接触感染であるため、手洗いによる予防を心がけ、タオルなどの共有は避けることが大切です。点眼薬を感染者と共有してもうつります。以前は、本疾患患者を扱った眼科医や医療従事者などからの感染が多く見られましたが、最近は、職場、病院、家庭内などの人が濃密に接触する場所での流行的発生もみられます。アデノウイルスは、種々の物理学的条件でも死滅せず、一部の消毒薬には抵抗性であり、その感染力は強いのです。
PROFILE
川崎医科大学 総合医療センター 小児科
部長(教授) 中野 貴司
1983年信州大学医学部卒業、1983年三重大学医学部付属病院小児科研修医、1984年尾鷲総合市民病院小児科、1985年国立療養所三重病院小児科、1987年ガーナ共和国野口記念医学研究所派遣(2年間)、1989年三重大学医学部小児科、1995年国立療養所三重病院小児科(この間、中国ポリオ対策プロジェクトへ1年間派遣)、2004年4月 独立行政法人化により"国立病院機構 三重病院"と改称、2010年7月 川崎医科大学小児科教授、現在に至る。