専門家コラム

小林先生の情報館

第10回:乳児用調製粉乳が汚染されているとしたら?

はじめに

市販の調製粉乳が、ある細菌に汚染され、それを飲んだ乳幼児に重い病気を引き起こし、時には死に至ることがあるとすれば、赤ちゃんをお持ちのお母さん方は尋常ではなくなることでしょう。世界では、とくに先進国ですが、毎年突発的あるいは散発的に数人~十数人の患者がでて、亡くなる乳幼児も報告されています。そこで厚生労働省もホームページでFAO(国際連合食糧農業機関)やWHO(世界保健機関)の合同専門家会議(2007年)で作成されたガイドラインや2004年の作業部会でまとめられたQ&Aの日本語版を作成して注意を喚起しています。(参考資料)。

その細菌は日本の細菌学者の名前が付いている『エンテロバクター・サカザキイ』という細菌で、強い病原性を持っていないので、これまで問題にされずあまり耳にしたことがないと思いますが、近年、注意すべき細菌の一つになってきましたので紹介します。

この菌名の由来

エンテロバクター(Enterobacter)属の細菌はヒトや動物の腸管内、土壌、汚水など自然環境に広く存在しており、健康なヒトに病気を起こすことはほとんどありません。この菌のグループ(菌属)にここで紹介するサカザキイ(Enterobacter sakazakii)という菌種があり、しばしばヒトや動物の糞便から検出されますが、常在するのではなく外部から一時的に侵入したものと考えられています。これまでこの菌を目的に検査をすることがなかったことから、菌の生息場所や分布状況などはまだよくわかっていません。

菌は阪崎利一先生が病院の臨床材料から分離した細菌で、当初は生物学的性状や形態などから黄色い色素を産生するEnterobacter cloacaeに分類されていましたが、Farmer, JJ Ⅲら(1980年)がDNA-DNAハイブリダイゼーション法(遺伝子交雑法:遺伝学的な類似性をみる)という新しい検査法で違いが分ったことから後に書きますように、先生に敬意を表して『サカザキ』の名前を付け、Enterobacter sakazakiiという新しい菌種に分類したのではないかと思われます。しかしFarmerはその論文で、今後の研究によってはさらに別の新しい菌種名になる可能性があることも示唆しています。その後、Iversen,C.ら(2008年)が新しく開発された種々の遺伝学的解析法や遺伝子配列を調べた結果からCronobacter sakazakiiという新しい属の新菌種に分類し、これが正式名となりましたが、FAOやWHOなどの食品に関する会議やその報告書では以前のEnterobacter sakazakiiが使われていますので、ここでもその名前を使用します(現在もこの菌名の方が一般的に使われています)。

この菌が注目される理由

2004年2月のFAOとWHOの合同専門家会議で乳児用の調製粉乳がこの菌に汚染され、敗血症、髄膜炎、壊死性腸炎、脳腫瘍など重篤な感染症を起こしていることが明らかにされました(表1参考)。

他にもこの菌の危険性は2002年アメリカ合衆国の調査では、1歳未満の乳幼児での発生頻度は10万人あたり1人ですが、体重1.5Kg以下の極低体重児では9.4人となり、その死亡率は50~80%であったといわれています。また母親がエイズウイルス(HIV)陽性の場合には、乳児に母乳を飲ませることはHIV感染の危険があり、調製粉乳での保育が必要となります。しかし、まだ抵抗力が弱く、このような弱毒菌に対しても極めて感染し易い(ハイリスク者)ので安全な粉乳が必要です。

実際に起った一つの事件を紹介します。

2004年10月に、フランスの距離が離れていた2つの病院(各1名づつ)の新生児(体重1995gと1980g)が髄膜炎によって死亡し(表参考)、調べた結果、他に2名の患者の発生が確認されたことから、何か共通の感染源が疑われました。さらに調査したところ全員からEnterobacter sakazakiiが検出され、同じ会社で製造された調製粉乳を授乳されていたことが分かりました。そこでフランス全土に広げて調査した結果、5地域の5カ所の病院で4名の患者(2名死亡)の他に5名の患者の腸管にこの菌が定着していることが確認されました。

2004年のFAO/WHO会議報告書では、『現在での製造、加工技術では無菌の乳児用調製粉乳の製造は不可能である』ので、安全性を高めるため次のことを実施するように勧告しています。

  • 乳児用調製粉乳は無菌ではなく、重篤な疾病の原因となる病原菌を含む可能性があることを使用者に認識させる
  • 調乳は70℃以上のお湯でおこない、以後は5℃以下で保存し、残ったときには廃棄することすること
  • 感染リスクが最も高い乳幼児には無菌状態の液状乳児用ミルクを使用すること
  • 調乳方法と取扱い方法のガイドラインを作成すること
  • ハイリスク者の滅菌済みの乳児用調製粉乳の開発をいそぐこと
  • 製造環境での本菌汚染を軽減する努力と効果的な汚染監視法を考えること
  • HIV陽性の母親からの子供や低体重児などに使用する母乳代用品など安全な方法を確立するために、とくに発展途上国への支援を行うこと
  • 国際的に有効なE.sakazakii検査法と分子型別法、生態学、病原性など本菌に関する研究の実施と情報ネットワークの構築を急ぐこと

わが国では(社)日本乳業協会が医療機関に対して80℃前後の熱湯で調乳するか、調乳後一度80℃に加熱した後冷却する方法を推奨しています。もちろん調乳する部屋、水、器具等が清潔であることは言うまでもありません。

表1.E.sakazakiiによる主な乳幼児感染事例(抜粋)

発生年 国名 感染源 患者数 死亡者数
1958 イギリス 不明 2 2
1965 デンマーク 不明 1 0
1979 アメリカ 不明 1 0
1981 アメリカ 不明 1 0
1983 オランダ 粉乳の疑い 8 0
1985 ギリシャ 不明 1 0
1986-87 アイスランド 調製粉乳 3 1
1987 アメリカ 不明 2 0
1988 アメリカ 調製粉乳 4 0
1990 アメリカ ブレンダー 1 0
1990 アメリカ 不明 1 0
1998 ベルギー 粉乳の疑い 12 0
2000 アメリカ 不明 1 0
1999-2000 イスラエル 調製粉乳 2 0
2001 アメリカ 調製粉乳 10 1
2002 ベルギー 調製粉乳 1 1
2004 ニュージーランド 調製粉乳 5 1
2004 フランス 調製粉乳 4 2

市販調整粉乳の汚染状況は?

調製粉乳の規格基準にこの菌の検査は含まれていませんので、あまり調査が行われていません。わが国の調査では、汚染率は2~4%、汚染菌量は333gあたり1個と極めて少数です。外国では世界35カ国の調査で141検体中20検体(14.2%)が陽性で、その汚染菌量は100gあたり0.3以下~66個でありましたが、腸内細菌の汚染は52.5%と高率にみられています(Muytjens,HL. et al.、1988)。また別の調査では58検体中8検体(13.8%)の汚染がみられていますので(Leuscher,RGK, et al.、2004)、少量菌汚染ですがかなり汚染されているものと考えられます。

どこから粉乳を汚染するのか?

先に書きましたように自然環境(土壌、汚水)から、各種の食品、とくにレタス、キュウリ、とうもろこし、レモン等の果実や野菜、家畜とその食肉、牛乳、さらにペット類、ハエなどの節足動物等の汚染や保菌が考えられます。従って粉乳を製造する施設には、直接に汚染原乳とともに持ち込まれた菌、また間接的には多くのものによって持ち込まれた菌が長期にわたって生息し、製造時に汚染したり、医療機関、保育施設などでは調乳時に二次汚染することが考えられます。そのほかにも牛乳や植物の食材を使った食品(豆腐、チョコレート、パスタなど)の汚染もみられています(表2参考)。

表2.E.sakazakiiの生息状況、汚染経路

ハエなどの節足動物
製造場所、工程
汚染原乳
製造時の汚染
調乳時の二次汚染

各種食品
食肉、豆腐、レタス、キュウり、とうもろこし、レモン等の果実や野菜
チョコレート、パスタ など

環境
土壌、汚水、動物・ヒト糞便
病院内の環境

この菌の特徴

大腸菌と同じ腸内細菌科に属しますが、他のものより乾燥や熱に強い性質があります。E.sakazakiiを1mlあたり106個(cfu/ml)汚染させた粉乳を作製し、5ヵ月後では約1/500が減少し、19ヵ月後ではさらに約1/10が減少しただけで、2年後でも生存していたことが実験で確かめられています。

これからの対策

患者の発生を報告しているのは先進国の数カ国のみで、世界的にみると本菌に対する認識が不足しており、実際はもっと多数の患者が発生しているものと考えられます。またフランスの事件例や、これまでの調査結果から明らかなように、汚染菌量は極めて少ないのですが、毎年患者が発生しています。そのため調乳の検査や患者の把握など早急に監視シテムを構築することが必要と思われます。

この菌と生息状況が類似していると考えられる他の腸内細菌科の粉乳汚染が高率であることが本菌の汚染調査時に明らかになりましたので、製造施設や調乳場所などの汚染状況を知るにはE.sakazakiiだけを調べるのではなく、種々の腸内細菌を指標として調査をするほうが望ましいと指摘しています(2004年、FAO/WHO合同会議)。

2008年6月に138カ国が参加して行われた食品の国際規格を設定するFAO/WHOの合同食品規格計画(第31回、コーデックス総会・食品衛生部会)で、調製粉乳の安全性を確保する責任は製造者にあることが明らかにされました。この審議の中でE.sakazakiiの検査は発展途上国においては大きな負担になるとの意見が出されましたが、この菌が存在しないことを証明するための厳格な検査は必要ではなく、製造環境の本菌汚染を軽減するための衛生的な環境の確保を目的とするものとされました。さらに専門家会議で作成したガイドラインの普及・導入に努めることも求めています。

低体重出生児や何らかの事情で母乳保育ができない乳幼児などハイリスク者の健かな成長のために調製粉乳のみならず、乳幼児の食品製造関係者、ならびに介護者や世話をされる方の衛生的な取扱いが望まれます。

阪崎先生のこと

先生は世界的な細菌学者で、この細菌だけではなくサルモネラ、赤痢菌、大腸菌などの腸内細菌科の研究に極めて多大な功績があり、それを称賛する意味から細菌学を研究する者にとって永遠に'SAKAZAKI'が残る菌種名になったと思われます。これを裏付けるものとして、平成6年に腸内細菌科(Family Enterobacteriaceae)(グラム陰性菌です)を検査、研究する者のバイブル的な教本(Bergey's Manual of Determinative Bacteriology)の出版社から第一回のBergey賞が、平成10年には野口英世記念医学賞が授与されています。以前にこの菌種について先生にお聞きしたことがあったのですが、ニコリともせず、照れながら(これが先生の最もふさわしいスタイルと私は思っております)、「Farmerが(名前を)付けると言って聞かんのや」(関西人と話すときには大阪弁がしばしば出てきました)と、最初の論文を書いた著者(資料3参考)の責任にされたことが思い出されます。

これより先の昭和40年に「腸炎ビブリオの発見と研究」で朝日(文化)賞を、昭和49年にはデンマーク王立獣医農業大学から名誉獣医学博士の称号をもらっておられます。

参考文献

  • 厚生労働省:2007年6月4日、「乳幼児用調製粉乳の安全な調乳、保存及び取扱いに関するガイドラインについて。日本語版
  • 厚生労働省:FAO/WHO専門家会議(2004年2月)、「育児用調整粉乳中のEnterobacter sakazakiiに関するQ and A」。日本語訳
  • Farmer JJ Ⅲ, Asbury MA, Hickman FW, Brenner DJ and The Enterobacteriaceae Study Group: Enterobacter sakazakii: A new species of 'Enterobacteriaceae' isolated from clinical specimens. Int.J.Syst.Bacteriol. 30:569-584, 1980.

獣医師、医学博士 小林 一寛