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感染症の“今”を語る~Dr.濱田カフェ~
国内~海外の感染症の“今”を濱田先生の目線でお届けする時事コラムです!
1981年東京慈恵会医科大学卒業後、84年米国より留学し、熱帯医学、旅行医学を修得。帰国後、東京慈恵会医科大学熱帯医学教室講師を経て、2004年より、独)海外勤務健康管理センター所長代理として、海外渡航者の診療にあたるとともに、SARSなど海外感染症対策事業を運営。2010年7月より現職。ほかに、日本渡航医学会理事長、日本臨床寄生虫学会理事、著書に『旅と病の三千年史』(文春新書)、「世界一病気に狙われている日本人」「新型インフルエンザ『かかる前に』『かかってから』(講談社α新書)など多数。
夏休みに香港を旅行した。
華南の珠江デルタに位置するこの美しい港町は、今や世界経済の中心地として大きく発展を遂げている。海辺から山麓までの狭い土地に高層ビルが立ち並ぶ光景は、壮観というよりも一種異様な雰囲気すら感じる。
この町が国際都市として成長を開始したのは1842年。イギリスがアヘン戦争に勝利し、清朝から香港島とその周辺の土地を割譲されたことに始まる。それ以来、香港は中国大陸由来の疫病の発信地として何度も歴史の中にその名を残してきた。
この町の疫病ゲートが最初に開いたのは1894年のペストの流行だった。雲南省に土着するこの致死性の感染症は、清朝末期の政治的混乱の中で、まず中国内部に拡大し、やがて香港から全世界に蔓延していった。この流行により世界各地で1000万人以上の人々が死亡したとされている。
その後、香港の疫病ゲートは約50年間閉ざされていたが、1957年と1968年の2度にわたり新たな疫病がこの門をくぐる。すなわちアジアインフルエンザと香港インフルエンザの流行である。この当時、中国は共産党政権の発足直後にあたり、国内は激動の時代を迎えていた。そんな中国内部でこの疫病は蔓延し、香港から世界に向けて拡大していったのである。
そして、2003年2月、香港の疫病ゲートは約50年ぶりに開門する。まだ記憶に新しいSARSの流行である。この新興感染症は前年の秋から隣接する広州近郊で静かに蔓延を続け、それが香港に到達してから急速にパワーアップする。およそ1週間で世界各地に飛び火していったのである。この頃、中国経済は急成長をみせており、特に広東省を中心とする華南の開発が加速していた。これがSARS誕生の一因と考えられている。
こうして歴史を振り返ってみると、香港から発信される疫病には一定の流行パターンがある。まず中国国内で、社会的な混乱や開発の加速により感染症の蔓延が起きる。それが香港に到達すると、そこで感染症は増幅されて全世界に拡大するという図式だ。
この増幅という過程に、香港の人口過密な社会構造が大きく関与しているように思う。香港の人口密度は平地で約5万人 /km²を超え、東京の5倍近くに達する。これだけ人口過密な社会は、感染症の増幅に最適な環境と言えるだろう。これを意識して、中国政府やWHOは中国南部での感染症監視に神経を集中しているのである。
香港の代表的な光景である狭い土地に立ち並ぶ高層ビル街。それに筆者がただならぬ雰囲気を感じたのは、こうした背景があるからなのだ。